就職・転職

8年間お世話になった会社から転職した時の話①

2019年8月31日、新卒からお世話になった会社から転職をしました。転職の決意に至るまでの経緯を振り返ってみたいと思います。

入社時はバブルだった売上

私がお世話になっていた会社は化学品製造の会社で、2011年の8月に入社しました。当時の日本といえば、前年のリーマンショック、東日本大震災の影響でとにかく不景気。日経平均株価は7千円代、為替レートは1ドル70円代、今では考えられない数字ですよね。

そんな日本景気とは反比例するように、当時の会社の売上は絶好調でした。ニンテンドーDSやスマートフォンに使われる部品を製造しており、2011年前後はちょうど世の中がガラケーからスマートフォンに切り替わる時期だったので、国内、海外から注文が殺到。フルで残業して、休日出勤しても捌ききれない程の注文量でした。

会社は同族経営だったのですが、同族の役員3人が乗ってる車で余裕で1軒家が買えるくらい、いい車を乗っていました。車好きの営業マンが来ると、「あれは誰が乗ってる車なんですか?」と興味深々に聞かれたものです。

入社3年目から売上が徐々に下降

入社1年目のボーナス、昇給は文句なしの金額でした。流石に1流企業には及ばずとも、当時周りが不景気で、賞与が出ない会社も沢山ある中で、十分すぎるくらいの賞与と昇給額でした。

ところが、入社3年目あたりから徐々に売上に陰りが見え始めます。

世の中にスマートフォンが行き渡ると、当然ながら売れ行きは鈍ってきます。

当時会社はスマートフォン以外の販路を必死で開拓しようとしていましたが、なかなか見つからない状況が続いていました。

社長から衝撃的な発表 ついに赤字に突入

入社から5年目、年末に社長から衝撃的な発表がありました。

「今年の業績は赤字になりましたので、来年の職能給の昇給については見送ります。」

えっ?!あれだけ勢いのあった会社がたった数年で赤字になるの?昇給見送りのショックより、この短期間で赤字に陥ってしまう、世の中の目まぐるしい変化に衝撃を覚えました。

それと同時に自分の中に人ごとのように思っていた漢字2文字が頭の中をよぎりました。

「数年後、倒産しちゃうんじゃないか?」

毎年昇給は3千円、賞与は毎年10万減

昇給の仕組みは年齢給と職能給に分かれており、年齢給は35歳まで3千円、36歳からは2千円毎年必ず上がる仕組みで、職能給は明確な基準はありませんでしたが、業績連動型で景気の良いときは1万ほど上がることもありました。

賞与はこれも特殊な仕組みだったのですが、売上の数%を原資という形で用意して、それを単純に従業員数で割るという仕組みでした。例えば、原資が3千万だったとして、従業員数が50人だったら、1人60万の賞与が貰える仕組みです。つまり、課長であろうがヒラ社員であろうが、頑張っても頑張らなくても同じ金額の賞与ということです。

職能給は上がらないとはいえ、年齢給が3千円上がるだけでもありがたいと自分に言い聞かせていましたが、売上が下がれば当然、賞与の原資も減っていきます。赤字に突入してからは毎年、年10万程賞与が減っていきました。年収ベースに換算すると(昇給)月3千円×12ヶ月=36,000円+(賞与)年-10万円=-64,000円。20代といえば給与は徐々に上がっていくはずなのに、毎年年収ベースで64,000円下がっていく計算です。モチベーションの維持が難しくなっていきました。

日に日に募っていく経営陣に対する不信感

私は当時、購買部門の主担当をしていましたが、仕入のコストダウンノルマ達成のために翻弄していました。売上が伸びないため、コストを減らすことで少しでも利益を上げるため、経営陣の圧は強くなっていきます。一方、工場は注文がほとんどないためヒマな状態になります。製造部員は朝からずっと喋っているか、寝ている社員もいるほどでした。

上記でも記載した通り賞与は全社員一律です。つまり私がいくら頑張っても寝ている社員と貰える賞与の金額は一緒なんです。当時、製造拠点が3か所あったのですが、どこも閑古鳥が鳴く状態。赤字を解消するためにも、リストラを進めるべきだったのですが、経営陣は一向に改善に動き出そうとしません。

赤字→昇給なし→賞与減→リストラしない→赤字 このループに嫌気が差し、遂に各部門のエース社員の退職がチラホラ出てくるようになりました。

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