就職・転職

苦戦した就職活動の話

私が大学を卒業する2011年3月は前年のリーマンショックに続き、東日本大震災の発生と就活生にとっては本当に厳しい年でした。私が大学に入学したときは日本の景気も良く、大学生の就職率はとても高いものでした。私の大学の就職率もほぼ100%に近い数値で推移してました。周りからはいい時期に大学生でいられて良かったなとよく言われたものです。

ところが私の1つ上の先輩からリーマンショックの影響で状況は一変。本来なら大学4年のゴールデンウィークまでに就職先が決まってなければ相当ヤバイと言われていたのですが、1つ上の代はゴールデンウィーク後もまだ半数近くが内定を得られていないという、異例の状況でした。

当然、私たちの代になってもすぐに状況が好転するわけはなく、むしろ状況は悪化の一途でした。私は大学2年から就職活動の準備を始め、筆記試験や面接対策に取り組み、大学3年の秋、就職活動の本番を迎えました。

説明会の予約が取れず、そもそも選考に進めない

就職活動の本番を迎えるにあたり早速壁にぶち当たります。当時、会社の選考を受けるには、ほとんどの会社が会社説明会の参加を必須としていました。マイナビやリクナビなど全部で4社ほどの就職サイトに登録し、志望企業の説明会予約の開始日時を確認。開始時刻と同時に予約サイトにアクセスしようとするのですが、就活生が一斉にアクセスするので、繋がりにくい状態が続き、アクセス出来たころには満席。本当、当時の会社説明会予約は人気歌手のチケットを取るのと同じくらい凄い倍率でした。景気の良いときは説明会の予約が取れないなんてことはまずなかったみたいなのですが、当時の就活生はみんなが焦っているため、より多くの会社を受けようとします。そうすると当然どこの会社の選考も倍率が上がってしまうんですね。

その後就職して分かったことですが、予約サイトにアクセス出来なかったのは、アクセスの集中もあったと思うのですが、学歴フィルターたるものをかけてる企業が多かったのも事実だと思います。私は3流大学だったので、恐らく学歴フィルターで弾かれていたのですね。就職して採用担当をしていましたが、広告代理店と求人について打ち合わせをしているときに「応募者の学歴フィルターはかけますか?」と聞かれてビックリしたのを覚えています。

履歴書を書いては落とされる日々

選考に進めず焦る日々。大手企業の選考は諦めて、中小企業の選考に焦点を絞りました。ようやく選考には進めるようになりましたが、その後も苦戦が続きます。大手企業が不景気の流れから採用を絞り込んでいるため、本来なら大手で就職できるような学生も中小企業の選考に流れ込んできます。当然、中小企業の選考も競争率が上がります。当時、履歴書は手書き指定がほとんどのため、1時間かけて履歴書書いては落とされる日々。心が折れかかっていました。

同じ会社の選考に親友は合格、自分は不合格

今でも忘れられない苦い思い出があります。地元の中小企業に説明会にたまたま親友と遭遇したんです。説明会が終わって話したところ親友も選考を受けるとのこと。後日、選考に進み私は1次面接で不合格だったのですが、親友に連絡すると親友は内定を貰えたとのこと。「それは良かった!おめでとう!」と明るく振舞いましたが、内心は発狂したいくらい本当にショックでした。

東日本大震災発生

気が付けば大学4年の1月。周りも半数以上は就職先が決まっており、より一層焦る気持ちは強くなりましたが、2月はゼミの集大成、卒業論文発表会があるので、気分転換の意味でも、まずはそちらに注力しました。無事に卒業論文発表会が終わり、迎えた3月、何としても卒業前に就職先を決めなければという思いで、選考をパンパンに詰め込みました。ところが、3月11日、皆さんもご存じの通り東日本大震災が発生。発生時、私は大学にいたのですが、校舎にひびが入り、死を覚悟したのを鮮明に覚えています。交通機関は壊滅状態、大学から5時間かけて歩いて帰宅しました。

選考は全部中止に 在学中に就職先を決めることが出来なかった

東日本大震災の影響で企業も大混乱。採用活動どころの話ではありません。予定していた3月中の選考はすべて中止になりました。一つ幸いだったのが、本来、大学を卒業した時点で新卒扱いではなくなるのですが、この当時、私のように就職先が決まらない学生がとても多かったので、国が大学卒業後、3年以内は新卒扱いとするというルールが出来ていました。このことによって少し、心が救われた私は、3か月間、就職活動を休むことを決めました。

震災から3か月後、就職活動を再開

2011年4月、就職先が決まっている友人たちは当時はやっていたmixiやFacebookで社会人としての抱負や意気込みを書き込んでいました。自分は取り残されてしまったんだなぁと、辛い気持ちで書き込みを見ていました。震災発生から3か月後の2011年6月より、就職活動を再開し、ハローワークの新卒応援コーナーに相談に行き、早速紹介して貰った八王子のメーカーの総務職に応募しました。最初の面接は集団面接。少し失礼な言い方ですが、正直、ハローワークに出ている無名の会社の求人で集団面接になるとは思いもしませんでした。

無名企業でも相変わらず選考は凄い倍率

面接では今回募集人数1人に対して、応募が70人近く来ているとのこと。

集団面接は自分を含めて5人でみんな社会人経験ありの人たちでした。これはダメだろうなと思っていたら、その翌日に最終面接案内の電話を頂きました。

最終面接は社長、総務部長、人事担当者の3人で個人面接でした。社長からの質問はたった一つ。「君のやってきた勉強はうちの会社で何の役に立つの?」

何て答えたかは緊張しすぎて覚えてません。その質問の後はひたすら雑談でした。面接が終わり、人事の方から「あと数人、最終面接を行うので、全員が終わり次第、結果を連絡します」とのこと。

社長には気に入ってもらえた気もするけど、このパターンで期待して何度落とされたことか。7月中旬、車で川釣りに出かけ、帰りにコンビニ停車して休憩していると、携帯に着信が!

2年越しに掴んだ内定

電話の相手は先日受けた会社の人事担当者からでした。「是非内定を出したいと思うのですが、承諾して頂けますか?」

私「ありがとうございます!宜しくお願いします!」

2年間の戦いが終了した瞬間でした。

この2年間、就活をする中で一番辛かったことは、周りの同級生から取り残されていくような感覚、そして不採用が続くと自分は世の中から必要とされてないのではないかという感覚に陥ることでした。

内定を貰うことが全てではない

残念ながら私の世代では、就職活動がうまくいかないことを理由に自ら命を絶つ学生が例年よりも多かったようです。上記に記載したようにやはり不採用が続いてくると自分は社会に必要ない人間なんじゃないかと感じてきちゃうんですよね。

でも社会であなたを必要としている人はたくさんいます!あなたが感じてる以上に周りはあなたを必要としています!

今、コロナの影響で就職活動に苦戦している学生さんも沢山いるかと思います。もし自分と同じような境遇にいる学生さんがいるとしたら伝えたいことがあります。

内定が貰えなくても決して自分を責めないで上げてください!命を絶とうなんて事は絶対考えないでください!

苦労した2年間はムダにはならなかった

就職した会社では約8年間お世話になりました。辛いこと、苦しいことも沢山ありましたが、8年間勤められたのはやはり就職活動の2年間、苦労した経験があったからだと思います。今でも仕事で壁にぶち当たったときは、就職活動の2年間乗り越えられたのだから大丈夫と自分に言い聞かせています。



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